技法は主題に従うべきか?

形式ではなく主題に従う

私は、特定の技法やスタイルを繰り返すことを前提に制作していない。

多くの作品は、ある段階で「形式」を獲得し、それを反復する。

 それは作家性として認識されやすく、また制作効率の面でも合理的である。

しかし、その反復が続くとき、作品は主題に応答するものではなくなり、

 既に確立された「やり方」を再生産する行為へと変質する。

同じ構造、同じ筆致、同じ視覚的効果。

 それは一見すると統一された表現に見えるが、
実際には異なる主題を同一の型に押し込んでいるに過ぎない。

私の制作はそこに属さない。

出発点は常に主題であり、形式はそれに従属する。

 したがって、水彩、デジタル、油彩、アクリルといった媒体の選択は固定されず、

 構造や筆致も作品ごとに変化する。

主題が異なれば、求められる表現も異なる。

 それを無視して同一の技法を適用することは、表現ではなく簡略化である。

一貫しているのは「やり方」ではない。

 主題に対して、その都度適切な形式を選び取るという態度そのものである。

形式の反復によって成立する作品ではなく、

 主題への応答として変化し続ける作品。

それが、私の制作である。


同じ技法を繰り返すことは、統一ではなく省略である



反復と差異について

歴史的に見れば、特定の技法や様式を共有しながらも、

 作品ごとに異なる表情を持つ例は数多く存在する。

たとえば、印象派と呼ばれる画家たちは、

 光や色彩に対する共通の関心を持ちながらも、
 同一の画面構造や結果に収束することはなかった。

Claude Monetにおける光の変化、
 Vincent van Goghの筆致の揺らぎは、
 同一の技法的枠組みの中にありながら、常に異なる現象として現れている。

一見すると反復的に見えるPiet Mondrianの構成においても、
 厳密にはバランス、比率、緊張関係が作品ごとに再構築されており、
 単なる形式のコピーには留まっていない。

ここで重要なのは、技法が固定されているか否かではなく、
 その内部において「差異が生成されているかどうか」である。

同じ手法が繰り返される場合でも、
 そこに主題への応答としての変化が存在するならば、それは反復ではなく展開である。

しかし、もしあらゆる主題が同一の構造、同一の筆致、
 同一の視覚的効果へと収束するのであれば、
 それは技法の適用ではなく、結果の固定化である。

異なる主題が存在するにもかかわらず、
 表現が常に同じ形へと帰結するならば、
 そこでは主題が形式に従属している可能性を否定できない。


私はそのような関係性を選ばない